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人生とは学びの連続です。何歳になっても私たちは学ぶことをやめません。私たちの高度な知性は「学ぶ」ということでより進歩した自分を得ること、そしてより良い明日が迎えられるということがわかっているからです。

世の中にはさまざまな知識があります。体系化して整えられたそれらは、すでに奥深くまで探求した人がまとめ上げた「整った知識」です。それらの整った知識は人が習得するために体系立てて編集されていたりするものであり、「学問」として学ぶ価値を持たせた人の知恵の集大成です。誰かが探求した結果を、第三者が理解しやすいようにまとめあげているものです。それらの知識に触れる際、それらの知識を吸収しようとする際、私たちは「興味」を持って臨んだり、または学校などでカリキュラムに組み込まれているから臨んだりするものですが、それはいわゆる学生時代を終えたとしても、「学ぶ」ということは私たちにとって時間を費やす価値のあることとして、認識されているものです。

学生時代は、「この勉強が何の役に立つのか」と疑うこともあったでしょう。まるで自分の「仕事」として勉強に取り組んでいた頃は、それ「以外」の世界の存在がなかなか感じられなかったものです。自分も大人たちのように社会で、世界で、羽ばたく存在でいたいと考えていたのではないでしょうか。それでも日々課せられるのは「学校の勉強」、そして「テスト」でした。学んだ結果は成績として残り、理解度が低いとテストでも悪い点数しか取れず、それはまるで自分の「価値」が低いというような現実をつきつけられているかのように感じられたでしょう。

やがて成長すると学校の勉強はすべてが繋がっていて、より高度な知識を得るためには段階を持って学ぶ必要があったということがわかるでしょう。中学、高校と進むにつれ、小学生の時に苦手だった科目から派生した強化はやはり苦手で、その頃に弱点を克服しておかなかったために、その「先」の勉強でも苦労してしまっているということを思い知るでしょう。

私たちの「知識」は、限られた範囲だけで作用するようなものではないのです。私たちの持つ知識は、知識と知識が相互に作用し、新たな発見や新たな応用につながる可能性をはらんだものなのです。ひとつの知識を得ることで、新たな知識の可能性が見える、ひとつの言語を体系的に学んだことで、他の言語までより理解できるというような効果があるのです。私たちにとって必要なことはそれらを「発見」するという「過程」です。ひとつのことに対して興味を持ち、探求することができる、その意志を持てる「モチベーション」です。学ぶ「意志」を持つことで、さらに深く追求された学問を探求することができるのです。

通信教育は、いつになっても学ぶことを辞めない私たちの知識に対する興味の象徴です。私たちがいつでも、自分の知識で学ぶことができるようになるということは、いつでも自分の可能性を広げることができるということです。私たちは興味と関心に満ち満ちています。私たちの興味と関心は、新しい知識の発見を促す最大のモチベーションであり、私たちが「人間」という高度な文明を有する生き物である所以なのです。

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