小学校、中学校、高校、そして専門学校や大学と、私たちはいわゆる「就学年齢」に達したあとはずっと学んできました。それまでは学ぶことが自分の義務であり、学ぶことで自分の価値を磨いていたのです。
やがて学ぶことを修了すると、私たちは「社会」というあらたなフィールドに飛び込むことになります。社会はそれまでの整った学びの場とは違い、その道の初心者からプロに至るまでが混在し、社会的に求められる「結果」に対して各人が知恵を絞って邁進しているという状況になっています。それまで「九九から連立方程式を得て微分積分」というような体系立てて無理がないように学んできた身としてはそれら社会での無法ぶりに少し戸惑ってしまうのではないでしょうか。その時に実感してほしいのは、実際の世界はそんなもので、誰も助けてくれないこともあり、体系立てられた整った仕事など数少なく、状況に応じてその場に臨んだ人がそれぞれ自分の最善を尽くすものだということです。
そのような「場」で活かせるチカラこそ、本当に「身についたもの」であり、そうではない場合は「知っているだけ」であるということを覚えておいてください。すべての知識は生きるために活用するものであり、ただテストでいい点数がとれる、ただ暗唱できるということでは、何にも繋がっていないということです。社会に出てみて、「これまで学んだことがなにひとつ活かせない、勉強は無意味だ」と感じたのであれば、それは自分自身に「応用力」が足りないのだということを知ってください。どのようなことでも、自分が抱えている問題に活かすことができるチカラが「応用力」で、応用力によってはじめてそれまで習得してきた知識が活きるのです。
どのような局面にどのように役立つ知識なのかということは、それを教えてくれた人、学校がわざわざ説明してくれるわけではないのです。それを「どう活かすのか」、「どのように自分の武器にするのか」ということが一番大切です。社会に出るまでのカウントダウンがはじまっている「大学」、そして「専門学校」で、どのようなことを学んでいくかということも大切です。どのような「目的」をもって勉学に励むのか、どのような意図でその知識を学ぶのかも、重要なことなのです。
自分がやりたいことが明確なのであれば、そのために必要な知識や知恵を学ぶことはまったくムダではありません。知識を学ぶことで自分の行く末に新たな可能性を見出したり、独学で探り探り学ぶよりも効率的に吸収できたりします。目的意識は学ぶうえでのもっとも重要なモチベーションの素です。この知識が必要だから学ぶ、必要だから理解できるまで学ぶということは「生きるために活かす」という明確な意味を持っている勉強です。
そして、私たちは通信教育でいつでも学び直すことができる状況を手にしています、私たちは何歳になっても、どんな境遇に至っても、何かを学ぶことができるのです。それは私たちの意志次第であり、私たちがどのようなことに対して興味を持ち、意味を持ち、それを学んだ結果どのような存在になりたいのかということも大きく関係しています。何も学ばず、何も知らずにただ達成したいというようなことは起こり得ないのです。それを知っている人は、いつまでも学び続けることができるでしょう。