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自力では学べないから通信教育

「勉強」には決まったカタチはありません。どのようなことでも自分で好きなように学べば良いのです。ですが、「試験」などを前提にした勉強であれば、最終的な目標はその試験を通過することです。その結果「資格」を得たり、社会的に誇れるスキルを得たりすることができます。

そのような「目的」、「過程」が見えているのであれば、何か体系立ててそれらの物事を学べるカリキュラムを踏襲した方が良いに決まっています。それらのカリキュラムは私たちにとって聖書であり、道標です。私たちが使える時間は限られていて、なおかつ仕事や将来に役立つようにそれらの勉強をしたいのであれば、その「学習」は効率的であった方がいいに決まっています。さらに、実際に学生なのであれば、学校の勉強にプラスアルファすることでさらに学校の成績を上げたり、自分が志望する学校に受かったりすることが目標になります。

「効率の良い学習方法」というものは、自分で編み出すことはなかなか難しいものです。学習する「環境」については、自分が「これが良い」と感じるものはあるかもしれません。自分が学びやすい環境、自分が物事を吸収しやすい環境というものはある程度決まっているかもしれません。そのような環境は、人から薦められるものではなく、自分自身でしかわからないものかもしれません。ですが、「効率的な学習方法」は自分で独自に編み出すことが難しいものです。それは問題の効率的な解き方、考え方、その他さまざまなことを含めて、すでに先人が通過したものであり、その知識を得るために自分がどのようにして学べばいいのかということも、すでに数多くの人が同じ悩みを抱き、実践してきたものであるからです。

ですから、「学ぶ」ということに関して「カリキュラム」が有効なのです。メソッドが必要なのです。学び方、学ぶ姿勢、その学問に対する考え方に対して、先人の教えを踏襲することが有効なのです。それによって私たちはさまざまなプロセスを省略して、さまざまな人が効果のあった学習方法を実践することができるのです。それが有償で学習する最大のメリットです。

なぜ通信教育で学ぶのか、それは「自分では編み出せないような効果的な学習を実践したいから」です。また、実践できるからです。それによって得られるのは学習にかかった「時間」、それ自体の短縮です。同じ時間でより多くのことを学ぶことができるのです。それがカリキュラムの意味です。特に自力で学ぶ時間を確保し、誰から講義を受けるわけでもなく自主的に学ぶ通信教育では、そのカリキュラムが優れていなければ「結果」として身につきません。学んでも、学んでも、身につかないということは、「モチベーション」の低下につながるのです。モチベーションが低下してしまうと、学ぶ意欲自体が失われてしまうことになります。学ぶ意欲を失ってしまうと、私たちは学ぶことをやめてしまうでしょう。それではそれまで費やした時間がまったくのムダになってしまうのです。

私たちに必要なものは、やれやるほど身につく効果的なカリキュラムです、効果的なメソッドです。それによって費やした時間以上の結果、成果を見いだすことができれば、その学習に対して満足するのです。

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