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ただ教材を取り寄せるだけでは意味がない

自分自身のチカラだけで、誰からも教えを請うことなく学ぼうとすると、それはモチベーションとの戦いにもなります。要するに「自分がやらなければその学習は成立しない」ということになるからです。

何かを「学ぶ」ということは自分自身の頭が、脳が、それを「受け入れる」体制になっていなければいけません。何かを学ぶ、物事を吸収する、得た知識を用いて頭を回転させ、問題を解くということは、自分自身がその体制、その姿勢を整えておかなければ成立しないことなのです。学校や塾では、その「環境」に身をおくことで学ぶ姿勢を構築することもできます。教師や講師という存在は生徒のモチベーションを高めることも役割としています。その場、その環境に足を踏み入れ、教師や講師のハナシを聞くだけでやる気になったり、物事を吸収する体制を自分の中に構築できたりするのは、それら「教える人」の力量でもあるのです。

私たちが知識を得るためには、そのような受け入れる姿勢が必要です。カタチだけその物事に接したとしても、頭がそれらの受け入れを拒否するのであれば学ぶことはできません。考えることやそれらの知識を、興味をもって受け入れることを自分自身の脳が拒否しているのであれば、それらの知識はまったく意味を成さないことになってしまうのです。必要なのは自分がどれだけその物事に興味を持っているのか、「知りたい」と考えているのかということになります。「知りたい」という気持ちがあれば、私たちの頭はどんどんそれらの物事を吸収していくことができるのです。

私たちが学習するために必要なものは「モチベーション」です。学ぶための素地を自分自身の中に構築することです。モチベーションを維持するのは容易なことではなく、学ぶという行為は脳をフル回転させることでもあり、言葉の額面上だけでは済まないのです。ただ机に向かえばいい、ただテキストを読めば良いというわけにはいかないもので、それら触れることができる情報を自分の中に飲み込むというプロセスが必ず必要になります。

ですから、ただ教材を取り寄せるだけでは意味がないのです。ただ教材を眺めて満足しているようでは、何も学んでいることにはならないのです。大切なことはそれらから得られる知識を自分のものとして、今後自分が活用できる知識として、活かすことにあります。学んでいるという姿勢だけでは意味がありません。学んでいることをしっかりと自分の知識、自分の武器にできるように「飲み込む」ということが大切なのです。

「学ぶ」ということは奥が深いものです。私たちは「意志」さえあればどんなことでも学ぶことができるもので、意志のチカラによってさまざまなことを自分の知識、その時点から自分のものとして振るうことができる叡智として身につけることができます。逆に無理やり勉強していたり、人から強制されていたりすれば、それらの知識はただ眼前を通り過ぎるだけで、何も吸収されないでしょう。私たちが「学ぶ」ということはそれらの知識をどのように扱うか、それらの知識をどのように活かすことができるかという「目的」から、モチベーションを構築することから始まります。ただダラダラ学ぶだけでは、意味がないのです。

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