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「学ぶ」脳と「楽しむ」脳は違う

私たちが何かを「感じる」こと、「考える」こと、その行動のすべて、身体の動きのすべては、意識しているものも無意識の反応もすべて「脳」が司っています。

私たちは高度な知性を有しています。私たちが持っている知性は生まれてから今日まで発達してきたもので、生物学的な脳の発達が終わった後でも、何かを「学ぶ」ということや「経験する」ということによって常にアップデートされています。「経験」も「学ぶ」ということに近いものです。「こうすればこうなる」、「人にこう言えばこう反応する」、「誰かを喜ばせるときはこのようなことが必要だ」ということは、「経験」によって脳に蓄積されたデータに基づいたものなのです。

学ぶために使用する脳の領域は、「楽しい」と感じたりする「領域」とは違うのではないかといわれています。論理的な思考、記憶を司る部分と「感覚、感情」を司る部分は違うということです。仕事が楽しい、勉強が楽しいという感覚を覚えたとしたら、それはその「分野」に対して自分自身の親和性が確認できたということです。なんでも「覚えるのが楽しい」と感じたり、「責任を果たすことの充実感」を感じたりするということは、実際に物事を習得している部分とは違う部分が感じていることなのです。

確かに私たちは「充実」することを求めます。自分がより良い存在になるために、より深く目指した自分に変わるために、どのように変化すれば良いのかということを考えているものです。それに一歩近づいたとき、人から「良くなった」と認められたとき、自分に対して「満足」したり、単純に嬉しかったりするのです。ですから、何事もそのような「感覚、感情」の上で「満足」するということはモチベーションのひとつにもなります。

そのような「感情」をうまくコントロールしながら、自分の「モチベーション」を維持するということはとても大切です。どのような存在になりたいのか、どのような自分になりたいのか、そこへ向けての「プロット」を着実にこなすことで「満足」すること、それが自分自身でモチベーションを作るためのポイントになるのです。そうすることで、それを「覚えた時」に感じていたこともインプットされます。「この問題は解けて嬉しかった」ということや、「この問題は解いていて楽しかった」という記憶と共に、その内容が「インプット」されるのです。それによって感情と共に「学んだ過程」の思い出が記憶されることになります。

そのようなメリハリ、自分の感情をうまく用いた学び方を実践すると、その勉強で学んだこと、学んでいること自体が大切な自分自身の成長の「記憶」になるのです。何かが苦手でずっと避けていた頃と、その苦手なものを克服した自分の「差」に、また「成長を実感」することになるでしょう。理屈、記憶、記録するような脳の領域に対して、その時の自分の感情、感覚などを同時に刻みつけることで、感覚的にもその学習が意味のあることになるのではないでしょうか。学ぶことによって自分自身の新しい側面が作り上げられていくということ、新しい自分を見つけるということ、それが感情の記憶とともにインプットされることで、より満足度の高い学習が可能になるのです。

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