人は誰でも「成長」するものです。それは自分が意識して成長する場合もあれば、知らず知らずのうちに成長していることもあるでしょう。
自分の成長をイメージしてコントロールすること、それは現代の私たちに求めてられているスキルのひとつであるかもしれません。成長した先にあるもの、それは「より良い暮らし」であるのですが、その「より良い」というカタチを実現するためにはさまざまな「道」があるのです。その「道」をどのようにして見つけるのかということも、大人である私たちに課せられた責任です。その「より良い暮らし」が自分のためだけではなく、家族や自分が守る人のためであれば、さらにそのモチベーションは高いものになるのではないでしょうか。
私たちは大人になると必ずなんらかの「責任」を得ることになります。それは納税をはじめとした社会的な責任、そして仕事をするのであれば取引先や顧客に対する責任、そして自分自身、自分の家族、自分が守る人に対する責任です。それらの責任をまっとうするためには、学生時代に学んだことだけでは不十分なのです。何事も「学び続ける」という謙虚な姿勢、何事も「まだまだ自分は未熟だ」という謙虚な姿勢があって、はじめて「伸びる」ものなのです。
一番ダメなのは、社会人になってある程度経ち、仕事にも馴れた頃に「増長」することです。「自分は仕事ができる」、「自分は他の人よりもできる」と勘違いしてしまうことです。世の中にはもっと自分よりも賢い人がいて、自分よりも社会的立場の強い人、大きな物事を動かしている人がいるということを考えず、自分が関わっている範疇を限定して、自分ができることだけしかやらない、自分が得意なことしかやらないという姿勢です。社会人になると必ず「最初」があります。その「最初」から馴れてきた頃がもっとも危うい時期です。私たちには学ぶべきことはたくさんあります。ビジネスをもっと拡大しなければいけないのであればそのために、もっと素早く仕事を終わらせる必要があるのであればそのために、自分が大切にしなければいけないことはたくさんあるのです。ですが、それに気が付かずただ「自分は馴れた、ベテランだ」と増長することは自分自身の成長を止めてしまうもっとも大きな要因のひとつです。
何かに「特化」するということは大切です。ひとつの分野に特化して、自分にしかできないこと、自分であればより良くできるということを見つけるのは大切です。そのようなことを「武器」にして今後も生きていくことが大切です。ですが、「それだけで良い」と考えることもまた間違いです。それだけではダメなのです。その分野を極めるにしても、もっと違う知識があるはず、もっと効率の良い考え方があるはず、他の人が出している成功例があるはず、と考えることができなければ意味がないのです。
そのようなことが、もしかするとすでに体系化されて「学べる」ようになっているかもしれません。そのようなことを自分で経験することなく、「勉強」というカタチで知ることができるのかもしれないのです。そのような「可能性」を知るということが何よりも大切で、自分自身の可能性を限定しないということがなによりも重要です。それが大人として「謙虚でいる」ということなのです。