生涯学習という言葉をよく耳にします。海外などでは、社会人が一旦休職し、自己をより高めるために大学に編入するということが盛んに行われます。
欧米などではMBAなどの資格を持っていると収入に直結し、仕事の条件がよくなるため、社会人になってもまだまだ学ぶという風潮があります。ですが、日本では一旦仕事をはじめてしまうと、求職すること自体が「マイナス」になってしまうため、なかなか大学で学び直すということができないのが現状です。ですから、日本での生涯学習と、欧米での生涯学習は、その言葉の意味が少し違うのです。
私たちの暮らしている日本では、「働きながらスキルアップする」ということが求められています。実践で学ぶということが求められており、成果を出しながら、より良い成果のために邁進するという風潮が強いのです。その人の「実績」からその人の「能力」を図ります。転職などでも、就任時の報酬はその人の「前職での給与」が基になることからも、それは顕著です。そして、日本人は「働き過ぎる」とも言われています。私たちは日々「もっと仕事ができるのではないか」と考えています。時間があれば働く、時間が空けば働く、人よりも多く頑張る、人よりも多く成果を出す、そのような意識に囚われ続け、「仕事」を中心に生きているのです。
欧米などではそのような風潮が少し違い、仕事とプライベートの別け方も顕著ですし、その人の「能力」はその人が何を学んできたのかということを基に考えられ、より良い「知」、より良い工夫から最良の成果を出すことが考えられています。たとえ求職したとしても、自分自身に必要だと思うスキルがあると考えれば、それを学ぶために大学で学び直す、自分が必要だと思うことを、自分が学びたいように学ぶのです。日本では、大学での講義は教授の意志が強いものです。与えられたカリキュラムこなすのが日本であれば、欧米では自分で自分の学びたいことをクリエトするという傾向も見られます。それはまさに「活かすための知識」であり、活かすための「学び」であるのです。
このような背景から、欧米と日本ではかなり「学ぶ」ということに対しての「差」があります。日本での生涯学習は「趣味」の延長線上であるとも捉えられることがあり、本当にその知識が必要なときに、その知識を学べる環境を得ることが難しくなっているのです。働くことと学ぶことが同義になってしまっている日本では、自己をより磨くための「学び」の場はなかなか与えられないというのが本当でしょう。そのため、「生涯学習」という言葉が何か虚しい響きを持ってしまっています。
そのような現実を打破するためにも、「通信教育」は有効です。通信教育で学ぶことによって、自分が使える時間を利用して学ぶことができるのです。自分が学びたいことを、自分の空いた時間を用いて学ぶことができるのです。通信教育は自分の意志が大切ですが、自分が知りたいこと、自分が磨きたい能力があれば、いくらでも学ぶことができるのです。学ぶということをもっと当たり前にすることができるように、学ぶということをもっと身近なものにするために、私たちは日々自分を磨き続ける必要があるのです。