「その行動」をやらないと気持ちが悪い、それを欠かすと一日なんだかやり切った気がしない、「習慣」とはそのようなものです。勉強を習慣化することで、自分の生活になくてはならないものにすることができます。
通信教育は特に「すべてが自習」といっても過言ではないものです。自習とは自ら進んで学習することです。自習の習慣を手に入れることで、少しずつでも確実に学習を進めることができるでしょう。ただ、ここで勘違いできないのは「勉強」という行為が大切なのではないということです。その勉強には目的があるはずです。「勉強をしていればほめられる」のは学生時代だけです。自分からすすんでその勉強を始めたのですから、そこには「ただ勉強をしているという満足感」ではない「目的」があるはずです。例えば資格の取得、資格までいかなくても、何か仕事や普段の生活に役に立つことなどです。そのような「到達点」を意識するかどうかで、勉強の成否、成果は変わってくるものでしょう。
それは仕事でのスタンスも同じです。ただ言われたことをダラダラとやっている、ただなんとなく働いている、そこには「目的」、「目標」のようなものがなく、ただ生活費を稼ぐためにはダラダラ働くしかないという「意識」なのであれば、ビジネスマンとしての「成長」はまったく期待できないでしょう。大切なことは「どのような境地に至りたいか」ということです。その仕事、その勉強を通じて、自分はどのような存在になりたいのかということです。そのような「目的意識」があるかどうかで、何事も身につくものが変わってくるのです。
一度働きはじめると、ずっと同じ毎日の繰り返しになることは避けられません。ドラマや映画のように、物語の主人公のように毎日が輝かしいものになることはまずありません。私たちは自分で「楽しい」と感じない限り、ずっと同じ毎日を繰り返すのです。朝起きて、昼は働いて、たまの休みはうんとダラダラして、そのような一週間を繰り返して生きています。それが輝かしいもの、意味のあるものになるかどうかは、そのような毎日の捉え方です。そのような毎日を意味のあること、価値のあるものに変えるのは、自分自身のスタンス次第なのです。
勉強も同じです。ただはじめるだけでは何も吸収しません。ただ勉強をはじめてみたからといって、何か自分に劇的な変化が訪れるとは限らないのです。その勉強を通じて、自分自身に何か新しいスキル、新しい知恵を定着させること、それによって日々の暮らしに何か変化を与えるんだという決意こそが、その「学習」を意味あるものに変えるための「意識」なのです。目的のない人がいくらダラダラ学んでもそれなりにしかなりません。大切なのは「いつまでに、どのようなことを学ぶのか」という計画性と、「その知識によって何を得るのか」という目的意識です。
学生の頃は「テスト」や「成績」という大人たちが何かの指標にするようなことがたくさんありました。ダラダラ過ごしていたとしても、やがて「進学」、「進路」という壁が誰にも等しくのしかかってきたのです。そのような「節目」は、大人になると少ないものです。大人になった私たちは自分の目標は自分で決めるということが求められているのです。